今回ほどに、言葉で締めるのは野暮だと思ったことはありませんでした。
言葉というものの存在を、私たちは過信してしまう。
もちろん、言葉により得られるものは多大だ。しかし、それが、全てでは無いこと。
体験に勝るものはない。
森はそれを教えてくれました。
雨の森を歩き、コシアブラを採取して。
ファイヤーピットの木を切り出して、竹の器を作り、
鹿を丸一頭を料理し、パエリアとコシアブラの天ぷらを。
翌朝は待ち望んだ美しい晴れ間に、生き生きとした新緑。
森を歩き、肺に空気を吸い込み、
一本の赤松が倒れるまでを
体全体で感じる。
その赤松の葉を煮出してお茶にして、手焼きのフラットブレッド、昨晩の鹿の骨身と野菜の旨みを味わうスープには、すぐそこに生えていた山椒の葉を添えて。
鳥の声が聞こえる静かで清々しい森の中、火を囲み、それぞれが感じたことをシェア。
私たちが腰掛けている木は、ずうっと前に立ち枯れし、朽ちはじめて土に還る途中。
そう教えてくれたのは中村さん。
森のことを話すときの彼は、本当に嬉しそう。
伊那で生まれ育った中村さん。
指差す先には、白い桜があった。
言葉や映像、それらは、きっかけを与えてくれるものであり、
本質は、やはりその場にいた人しか体験できない。
もしも、悩んでいる課題があるのなら、頭は置いてきて、
とりあえず現場へ行ってみてほしい。
環境のことを、考えたいのなら、パソコンじゃなくて自然のある方へ。
美味しく食べる人の写真を見たところで、その味を、香りを味わうことはできないのだから。
それが本当に美味しいかなんて、食べないとわからないでしょう?
今回もまた、みなさんと火を囲めたことに感謝を込めて。
ご参加いただきありがとうございました。
そして、
やまとわ の中村さん、奥田さん、近藤さん に大きな感謝を込めて。
PHOTO TAKASHI GOMI
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